前回のあらすじ

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【前回のあらすじ】
 また一つ、死体が産み落とされた。「死体」が「産まれる」とはなんだか滑稽な言葉の様な気がする。「産む」という単語は新しい生命の誕生を指して使うだろうに。しかし今この場では真逆の「死」が垂れ流されている。「死」の「誕生」。
 to live is to die. to die is to live. 生きることは死ぬことであり、死ぬことは生きることである。先の「死体が産み落とされた」はこれを表現しているのだろうか。死ぬために生まれるか、生まれるために死ぬか?なんか「鶏が先か、卵が先か」みたいな話になってしまったか?いや、今回は死体が産まれたのだから「死ぬために生まれるか、生まれるために死ぬか」という以前の問題だ。死ぬのと生まれるとの時間差が0であるため、この問題は発生しない。
 とまあただ一つの文章を小難しく解釈して、迷走して、訳が分からなくなって、頭の悪い学生が考えたような哲学じみたことを言ってみたが、ここで使われている「産」は「産まれる」の「産」でなく、「生産」の「産」と同義だろう。文字通り工場で大量の食品が生産されると同じく、死体は作られていく。

 ある時から私は「死ぬ」という事を没収されてしまった。没収と言うと誰かに取られたかのような言い方だが、実際に取られたわけではない。ある日突然、何の前触れも無く「死」は私の手元から消えてしまったのだ。まあ理不尽に所有物が消えてしまうという事は没収と言ってしまってもいいかと私は思う。ああ、話が脱線してしまった。長い時間を生きているともう脳味噌の構造が普通の人間と変わってしまっているのだろうか。もしかすると文章を構成する脳の部分が先の死体と一緒に私の体から産み落とされてしまったのかもしれない。話を戻そう。
 私は肉体が著しく損傷すると私の近くに新しい私の肉体が生成され、私の自意識はその体に移動するのだ。原理は分からない。むしろ私が知りたいぐらいである。自殺しても事故で死んでも必ず近くに私の新しい肉体が生成され、蘇る。
 自意識が移動する前後の私は果たして同一人物なのだろうか?もしかすると意識は私の壊れた肉体に残ったままで、新しい肉体にはコピーされた自意識が存在するだけなのではないか?(続く)
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