ふと目覚めると、私は薄暗い「部屋」の中にいた。ドアや窓はない。蛍光灯もない。しかしそのような状況でも部屋の中を見渡せるのはいったいどういう事だろう。日没間際の、蛍光灯を点けるか点けないか悩むぐらいの明るさで部屋は満たされている。「部屋」に入ったことで、私には何か超常的な力でも備わったのであろうか。そのような能力を得たとしても私はそれを何に役立てればいいのだ・・・。
 何故私がこの部屋に閉じ込められているか、そしてどうやってココに入れられたかは分からない。まあ、いい。過ぎ去ったことなどは。とにかく私はこの陰気な部屋を出るべくあたりを注意深く見回した。
 何度見渡しても部屋には何も無かった。部屋の中には「私」だけが存在している・・・。私はそれを認識すると諦めたように眠りについた。

 長い時間が過ぎた。いや、もしかすると数秒も経っていないかもしれない。この何もない空間の中では時間すらも存在しないのかもしれない。私の存在や自意識さえも。
 耳を澄ますとカチコチ、カチコチと一定周期で繰り返される機械的な音が部屋に響いていた。その単調なリズムはなぜかこの薄暗いの世界では、不思議と私を安心させてくれた。時計である。それも壁一面を埋め尽くすほどの巨大な時計だ。秒針はせわしなく動いている。もしこれが目覚まし時計で、出力する音がその大きさに比例しているならば私の耳は聾してしまうだろう。どのようにして私に気づかれること無く、この時計が出現したのかは分からない。もしかすると最初から存在していて、私が認識していなかっただけかもしれない。外の世界に居たときは、よく人に「視野が狭い」「周りに気を配れ」とよく言われた。認識力の欠如を指摘されていた。私がそんな事を言われるのは外の世界があまりにも広いせいであるからだ、と私は私自身に言い訳をしていたが、この狭い世界の中でさえ自分以外のものの存在を認識できなかったという事実は、私が「欠けている」人間だという事を強く証明しているように思えた。
 私は時計を観察した。その時計は円を十三等分している。円の一番上には「13」という数字がデカデカと書かれてある。コレはどういう意味を持っているのだろうか。もしかして私は宇宙人によって別の星へと連れ去られてしまったのだろうか。その星では一日が十三時間か、二十六時間なのだ。だとするならば、この明かりのない密閉された空間で周りが見渡せるのも、時計の存在を認識できなかったことも、異星人の超技術的なもののせいであるためと納得・・・できない。そんなバカげたことがあるだろうか。
 とにかく私は時計を外してみようとした。先ほどは私が認識できていなかったと思っていたが、時計はやはり後から出現したのだと思う。であるならばその周辺に時計を出し入れする機構が存在するはずだ。
 時計自体は簡単な掛け金の様なもので固定されていて、容易に外すことができた。
 
 そこには壁一面を覆い尽くす「私」の顔があった。


 「あなたは誰でしょうか。」
 私は壁の『私』に話しかけた。
 「私は『時間』だ。」
 壁の『私』はカチコチとした機械的な応答をした。
 「私と同じ顔をしているのは何故ですか。とても似ています。」
 「ならばお前も『時間』なのかもしれない。」
 そうか、私は『時間』だったのか。ならば私が先ほどどれくらいの『時間』が経過していたのかを認識できなかっのは何故だろうか。物体Xの物体X自身の認識の容易ではないのだろうか。自分が自分であるという認識・・・。AがAであるという認識・・・。
 「とりあえず私はここから出たいのですが・・・。」
 「ここを出てどうする。」
 「さあ・・・。特には決めて無いです。しかし、私はこれ以上ここには居たくないと感じています。」
 「ならば私の口の中に入り、奥へ奥へと進むがいい。」
 すると壁の『私』は口を大きく開けた。シャッターを開けたときのように、ゆっくりで、機械的に。
 「この先には何があるのでしょうか。」
 壁の『私』は何も答えない。口を開けているせいか。それとも話す気が無いのか。
 私も黙って壁の『私』の口の中へと入っていった。『私』、いや、時間の口の中は完全なる闇で何も無く、まるで私は出口のない通路を永遠に彷徨い始めたのだろうかと錯覚した。

 先ほどまで居た部屋とは違い、そこは完全なる闇だった。自分の手さえも見ることができない。何もかもが認識できないのだ。はたして私は進んでいるのか、戻っているのか。そして生きているのか。私は得体の知れない恐怖に襲われ、我武者羅に、『時間』の中をもがいた。
 永劫に近い時間もがいたような気がする。いつの間にか目の前に光が見えていた。もしかしたらアレが出口なのかもしれない。私は全身の力を振り絞り(その時、私に体はあったのか?)光へと進んだ。


 『時間』の中を出るとそこには、最初と同じような部屋があった。しかしそこには壁一面に鏡が貼られてあった。どういう事だろうかと『時間』に聞いてみようとしたが、私が通ってきた暗闇はもう既に存在せず、私が『時間』と会話をする機会は未来永劫失われてしまった。とにかく、ここからは私の力でやっていくしかないようだ。
 私は鏡の中の『私』を見ようとした。長い間、私は私自身の姿を見ていないような気がしていたので、自分の姿を再認識するいい機会であった。
 鏡の中にはドロドロに溶けたピンク色の塊が、私が映るであろう場所に存在していた。何だコレは。コレが私の姿だったのであろうか。まるでひと昔前のSF映画に出ていたような、何かしらの物質によって溶かされてしまった人間の様だ。右手を上げて見ると、そのピンク色の塊も弱弱しく震えながら右手(?)を上げている。本当にコレが私なのであろうか。私はドロドロに溶けてしまったのか。『時間』の消化酵素で溶かされてしまったのだろう。いや、違う。私は決してこんなに醜いものではないはずだ。それに、私は私の手足にしっかりとした感覚がある。溶けているならばこんな感覚は認識できない。これはきっとマジックミラーかガラスか何かで、向こうのピンク色の化け物が私の猿まねをしてるだけに過ぎないのだ。そう思うと私は非常に苛立った。このガラスに、向こうのピンク色の化け物に。そしてその世界をも。
 私は部屋の隅から全力で助走をつけて鏡に体当たりをした。あまりにも強い衝撃だったため、私は意識を失ってしまった。薄れゆく意識の中で見た。どこからか射している穏やかであたたかな光。それを反射してキラキラと輝く、粉々になったガラス。広がっていく世界。


 気が付くと私は草原にいた。遮るものが何もない、空の青色と草の緑色だけが存在している。三百六十度、どこへだって行ける。遮るものは、何もない。私は自由になったのだ・・・。私は嬉しくなって駆けだそうとした。しかし、できなかった。足が動かない。足が地面に埋まっていたのだ。せっかくどこへでも行けるようになったのに、なぜ私の足は地面に埋まるのだろうか。私は両手を使って右足を掘り出した。だがそこに足は無かった。そこには木の根があった。そしてその木の根は私の足につながっているのだった。私の足が木の根に変わってしまった。その事を私が認識した瞬間、私は樹に変身していた。

 草原のど真ん中に樹が一本生えている。それは私である。私はずっと動けず、ただ思考のみがあるだけになってしまった。しかしその思考も今、消えかけている。樹に変身してすぐの頃は色々な事を考えていた。哲学、心理学、この世界の事、元の世界の事。しかし、もう考えることが無くなってしまった。
 狭い世界に居た私には、自由が無かった。自由が無いのは狭い世界に居たせいだと思っていた。しかし、広い世界においてもやはり私はどこへも行くことができないのだ。
 どれくらい時間が経っただろう。いや、『時間』はあるのか?違う、『時間』は私だったはずだ。私が私を認識しているという事はすなわち『時間』を認識することである。ならばどれほど経過しているかを認識できないのはどういう事だ。私は『時間』ではなかったのか。あくまで『時間』は壁の『私』のことであって、それに似ている私は何なのであろうか。ああ、もう何もかもが分からない。
 いつからかは分からないが、私はずっとただ一つの言葉を心の中で繰り返している。

 私は樹だ、私は樹だ、私は樹だ、私は樹だ ―――――


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